千葉県の高校リスト

市立習志野高出身のプロ野球選手

山下斐紹 (習志野高 捕手) 2010年 福岡ソフトバンクホークス ドラフト1位
















































2011 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
2012 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
2013 11 14 14 1 4 0 0 0 4 0 0 0 0 0 0 0 0 3 0 .286 .286 .286
2014 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000
2015
通算:4年
備考 北海道札幌市出身。5歳の頃に家族と千葉県千葉市に転居し、6歳の時に4歳上の兄の影響を受け小学校で投手として野球を始めた。最初は右打ちだったが、4年生時に足の速さを生かすため左打ちへ転向。千葉市立磯辺第二中学校に進学して硬式野球の千葉西シニアに所属。野手に転向して外野手を中心にプレーした。習志野高進学後に、捕手へと転向。1年夏からベンチ入りし、秋からはレギュラーに定着。秋季関東地区大会を2位で終え、2年春には第81回選抜高等学校野球大会に出場した。チームは2回戦で敗退を喫するも、2試合で5打数2安打1打点をマーク。
2年秋から主将を務め優勝候補の筆頭に挙げられたが3回戦で敗退した。3年春は県大会を制し、関東大会で準優勝した。3年夏の千葉県大会では2本塁打を含む16打数10安打をマークした。準決勝でこの年の甲子園出場校・成田高校と対戦、適時打一本を放つも、相手エースである中川諒に2三振を喫し、3-4で敗れた。2010年10月28日のプロ野球ドラフト会議にて福岡ソフトバンクホークスから1位指名を受け入団。
上野啓輔 (習志野高→上武大中退→ジャパン・サムライ・B→米マイナー→香川OG 投手) 2010年 ヤクルト ドラフト育成2位




















































2011 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
2012 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
通算:2年 一軍公式戦出場なし
備考 千葉県船橋市出身。シニア時代の最高成績は3年春に関東大会ベスト8、当時は投手より打者での活躍が目立っていた。習志野高に進学し、3年時にエースとして活躍。3回戦でAシードの我孫子高を2安打完封に抑え、長身ピッチャーとして注目された。しかし、4回戦で専大松戸高に1-0で敗退する。上武大学に進学するも、1年で中退。中退後は野球から離れ半年間フリーター生活をする。2010年に育成2位でヤクルトに入団。2013年1月に現役引退の意向を示した。
松比良平太 (習志野高 捕手) 1998年 近鉄バファローズ ドラフト7位
















































1999 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
2000 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
2001 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
2002 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
通算:4年 一軍公式戦出場なし
備考 埼玉県所沢市出身。習志野高から、1998年ドラフト7位で大阪近鉄バファローズに入団。2002年に戦力外通告を受け、任意引退。2003年、2004年は近鉄でブルペン捕手を務めていたが、球団が消滅したため2005年から新規参入した東北楽天ゴールデンイーグルスでブルペン捕手を務めている。また、2008年には北京オリンピック野球日本代表のチームスタッフも務めた。
福浦和也 (習志野高 内野手) 1993年 千葉ロッテマリーンズ ドラフト7位
















































1994 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
1995 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
1996 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
1997 67 242 218 27 63 8 1 6 91 23 0 1 1 1 19 2 3 36 5 .289 .353 .417
1998 129 526 465 61 132 32 3 3 179 57 1 2 0 6 51 3 4 78 10 .284 .356 .385
1999 114 284 256 21 71 15 1 3 97 35 0 0 0 3 21 1 4 38 5 .277 .338 .379
2000 131 494 446 58 132 21 4 7 182 56 1 1 6 4 34 2 4 59 15 .296 .348 .408
2001 120 519 451 82 156 30 4 18 248 67 0 2 2 3 58 3 5 74 10 .346 .424 .550
2002 135 565 493 48 148 40 0 9 215 66 2 1 0 3 52 3 17 73 10 .300 .384 .436
2003 140 623 567 75 172 50 1 21 287 76 2 3 1 5 48 6 2 89 22 .303 .357 .506
2004 128 569 506 67 159 42 1 11 236 73 2 1 2 4 47 0 10 82 8 .314 .381 .466
2005 114 491 434 54 130 25 1 6 175 72 0 2 0 9 39 0 9 55 5 .300 .363 .403
2006 114 484 436 43 136 20 1 4 170 52 0 3 3 7 33 5 5 52 11 .312 .362 .390
2007 110 445 395 41 102 20 1 4 136 57 0 1 2 6 38 3 4 44 8 .258 .325 .344
2008 105 371 310 39 78 9 0 1 90 44 0 0 1 7 50 2 2 49 10 .252 .352 .290
2009 129 460 396 47 108 18 0 6 144 39 1 0 11 3 46 0 4 65 8 .273 .352 .364
2010 116 359 322 42 95 19 0 13 153 61 0 0 3 3 28 2 3 47 8 .295 .354 .475
2011 116 405 358 22 80 13 0 3 102 43 0 0 1 6 37 3 3 72 11 .223 .297 .285
2012 84 199 180 5 45 3 0 0 48 25 0 0 1 2 15 1 1 27 3 .250 .308 .267
2013 78 169 140 5 32 5 1 0 39 17 0 0 0 2 26 1 1 30 4 .229 .349 .279
2014 43 106 92 4 26 2 0 0 28 15 0 0 0 0 12 1 2 14 1 .283 .377 .304
2015
通算:21年
備考 1993年ドラフト7位で投手として入団。しかし半年で3回肩を壊し打者に転向。入団4年目の1997年に振り子打法を引っさげ一軍デビュー、即座に一塁のレギュラーに定着。しかしその後は石井浩郎、ボーリック、初芝清などにポジションを譲り外野を守ることも多くなった。 2001年に一塁手に復帰し、才能が開花。7年連続首位打者のイチローがメジャーリーグに渡った最初の年に、小笠原道大(当時日本ハム)との熾烈な争いを制し打率.346で首位打者を獲得した。また18本塁打を放ち、初芝清以来不在だった千葉ロッテの和製大砲としての期待にも応えた。
花島寛己 (習志野高 投手) 1991年 ロッテオリオンズ ドラフト4位
















































1992 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
1993 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
1994 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
1995 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
通算:4年 一軍公式戦出場なし
備考 千葉県習志野市出身。習志野市立大久保小学校、習志野市立習志野第二中学校を経て、習志野高のエースとなる。1991年のドラフトで千葉ロッテマリーンズに4位で指名され入団。マリーンズ誕生後、初の地元出身選手として注目された。なお、中学、高校では同じくロッテに入団した福浦和也の2年先輩にあたる。186センチの長身から投げ下ろす速球を武器としたが、一軍での登板は無く1995年に引退。
城友博 (習志野高 外野手) 1987年 ヤクルトスワローズ ドラフト6位
















































1988 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
1989 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
1990 4 11 11 1 3 0 0 0 3 0 1 0 0 0 0 0 0 2 0 .273 .273 .273
1991 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
1992 83 229 188 30 42 8 0 0 50 2 10 3 20 0 15 0 6 37 4 .223 .301 .266
1993 96 313 283 54 73 4 2 1 84 26 11 2 7 2 18 0 3 51 3 .258 .307 .297
1994 27 40 36 5 10 3 0 0 13 1 3 0 2 0 2 0 0 5 0 .278 .316 .361
1995 71 133 107 24 26 4 1 1 35 10 11 3 11 0 11 0 4 12 2 .243 .336 .327
1996 42 59 49 7 9 1 0 0 10 2 0 1 7 0 2 0 1 9 1 .184 .231 .204
1997 30 28 22 2 7 1 0 0 8 0 2 2 1 0 5 0 0 2 0 .318 .444 .364
1998 4 3 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000
1999 5 4 3 1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 2 0 .000 .000 .000
通算:12年 362 820 701 124 170 21 3 2 203 41 38 11 50 2 53 0 14 120 10 .243 .308 .290
備考 千葉県習志野市出身。習志野高校時代は1番・センターで1987年の夏の甲子園に出場し、俊足を評価され、同年のドラフト6位でヤクルトスワローズに入団。入団後も俊足を発揮し、1990年にイースタン・リーグで盗塁王と最多安打、翌1991年もイースタンで盗塁王を獲得した。1992年に一軍に定着し、83試合に出場。14年ぶりのリーグ優勝に貢献した。1993年、飯田哲也の怪我のため、主にセンターで96試合に出場。1997年、自家用車で停車中、トラックに追突され椎間板を損傷。これが結果的に選手生命を縮めることとなった。1998年に自由契約となり阪神タイガースにテスト入団するものの、翌1999年に再び自由契約となり現役引退。
大塚賢一 (習志野高 投手) 1986年 南海ホークス ドラフト4位




















































1987
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
1988 1 0 0 0 0 0 0 0 - - 7 1.1 2 0 2 0 0 0 0 0 0 0 0.00
1989 1 0 0 0 0 0 0 0 - - 7 1.1 3 0 0 0 0 0 0 0 3 3 20.25
1990 1 0 0 0 0 0 0 0 - - 1 0.1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0.00
1991 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
1992 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
1993 西 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
通算:7年 3 0 0 0 0 0 0 0 - - 15 3.0 5 0 2 0 0 0 0 0 3 3 9.00
備考 千葉県習志野市出身。習志野高から1987年に南海に入団。1990年は1A・サリナス・スパーズに野球留学した。ダイエー時代の1991年12月、同球団のドラフト10人指名の余波を受け本村信吾、山田武史とともに保留選手名簿に記載されたにもかかわらず解雇通告を受けた。本村の提訴により本村は参稼報酬同額の補償裁定(1991年の年俸と同額)を勝ち取り、同じく山田は参稼報酬の9割相当額(1991年の年俸の9割)で和解が成立しているが、大塚は現役続行を希望し広島のテストを受け合格し入団した。1992年オフに前田耕司とのトレードで西武に移籍。1993年に現役引退。西武の打撃投手に転向し2010年に退団する。
小川淳司 (習志野高→中央大→河合楽器 外野手) 1981年 ヤクルトスワローズ ドラフト4位
















































1982 85 201 197 12 42 4 0 3 55 16 2 1 1 1 2 0 0 39 4 .213 .220 .279
1983 71 132 131 13 33 5 0 4 50 13 0 1 0 0 1 0 0 28 0 .252 .258 .382
1984 115 303 278 34 70 11 2 11 118 35 0 2 4 3 17 4 1 49 3 .252 .294 .424
1985 118 367 335 41 80 13 1 11 128 30 0 1 2 3 27 1 2 80 4 .239 .297 .382
1986 94 91 87 10 16 3 0 3 28 10 3 1 1 2 1 0 0 34 3 .184 .189 .322
1987 113 245 229 32 55 5 3 11 99 31 2 2 2 1 13 0 0 48 5 .240 .280 .432
1988 103 229 207 28 60 16 1 8 102 24 2 1 4 2 15 0 1 51 0 .290 .338 .493
1989 95 122 106 11 28 8 0 4 48 13 3 4 1 0 14 1 1 24 3 .264 .355 .453
1990 50 90 77 11 13 1 0 7 35 15 1 0 1 0 12 0 0 22 6 .169 .281 .455
1991 49 57 52 6 8 0 0 2 14 5 0 0 2 0 3 1 0 15 0 .154 .200 .269
1992 47 58 48 5 7 0 0 2 13 3 0 0 6 0 3 0 1 16 0 .146 .212 .271
通算:11年 940 1897 1747 203 412 66 7 66 690 195 13 13 24 12 108 7 6 406 28 .236 .281 .395
備考 千葉県習志野市出身。中学時代は三塁手としてプレーし、目立った実績のないまま地元の習志野高校に進学。体が大きく肩が強かったため捕手にコンバートされたが、故障者が出たのをきっかけに1年生の秋に投手に転向した。肋間神経痛でも走り込みを休めなかったというほどの猛練習を積みエースとなる。2年生の夏の県大会では4回戦で銚子商の土屋正勝と投げ合い、0対2で惜敗。秋の関東大会ではベスト4に入り選抜大会に出場したが、赤嶺賢勇を擁する豊見城高に一回戦で敗れた。3年夏の県大会では準決勝で銚子商と再び対戦して自ら2ランホームランを放って勝利し、続く決勝では君津高を破って全国選手権出場を決めた。選手権では3試合連続完封などの活躍を見せ、準決勝で肩を痛めながらも決勝戦でも完投し、優勝投手に輝いている。
中央大学では外野手に転向し、東都大学リーグでは通算98試合出場、351打数80安打、打率.228、5本塁打、39打点の成績を残した。また、4年生の1979年には同じ中大から熊野輝光と共に日米大学野球の代表に選ばれ、原辰徳、岡田彰布とともにクリーンアップを任されている。河合楽器に進み都市対抗野球大会に2年連続出場、1981年のドラフト会議で4位指名されヤクルトに入団。1年目から1軍に定着するもレギュラー獲得には至らず、専ら対左投手要員として起用されることが多かった。守備固めとしての出場も多かったが、長打力に定評があり、3度の11本塁打をマークしている。1991年に戦力外通告を受け、1992年、角盈男との交換トレードにより日本ハムファイターズに移籍し、この年限りで現役引退。
掛布雅之 (習志野高 内野手) 1973年 阪神タイガースドラフト6位
















































1974 83 194 162 13 33 8 0 3 50 16 1 1 0 2 28 0 2 38 3 .204 .325 .309
1975 106 344 317 34 78 15 3 11 132 29 0 0 3 0 22 3 2 68 8 .246 .299 .416
1976 122 469 406 69 132 20 7 27 247 83 5 7 2 3 54 4 4 52 7 .325 .407 .608
1977 103 439 381 59 126 18 4 23 221 69 4 4 0 6 50 1 2 58 9 .331 .405 .580
1978 129 532 465 73 148 17 2 32 265 102 7 5 0 2 63 7 2 86 5 .318 .400 .570
1979 122 530 468 107 153 20 3 48 323 95 10 4 0 4 58 0 0 61 13 .327 .398 .690
1980 70 288 258 27 59 7 0 11 99 37 2 1 0 2 26 1 2 47 9 .229 .302 .384
1981 130 549 458 84 156 25 1 23 252 86 1 1 0 4 85 18 2 54 8 .341 .443 .550
1982 130 549 464 79 151 27 0 35 283 95 6 6 0 4 79 16 2 69 11 .325 .423 .610
1983 130 560 483 72 143 25 2 33 271 93 6 3 0 3 72 8 2 81 5 .296 .388 .561
1984 130 549 442 79 119 14 1 37 246 95 3 2 0 3 102 8 2 83 11 .269 .406 .557
1985 130 579 476 102 143 16 4 40 287 108 3 1 0 6 94 6 3 62 12 .300 .415 .603
1986 67 285 254 33 64 11 1 9 104 34 0 2 0 3 25 0 3 40 7 .252 .323 .409
1987 106 424 387 33 88 14 3 12 144 45 0 1 0 3 33 2 1 61 9 .227 .288 .372
1988 67 283 252 28 63 13 0 5 91 32 1 0 0 3 28 0 0 37 7 .250 .322 .361
通算:15年 1625 6574 5673 892 1656 250 31 349 3015 1019 49 38 5 48 819 74 29 897 124 .292 .381 .531
備考 千葉県千葉市出身。習志野高2年生時に四番打者、遊撃手として1972年夏の甲子園県予選を勝ち抜き、東関東大会決勝で優勝候補筆頭の銚子商と対戦。根本隆投手から先制のきっかけとなる安打を放ち、2-0で快勝。しかし甲子園では1回戦では満塁本塁打を放つが東洋大姫路高に敗退した。3年生時の1973年夏は県予選準々決勝で、エース古屋英夫を擁する木更津中央に、延長11回の熱戦の末1-2でサヨナラ負け、甲子園には届かなかった。同年秋、父親が千葉商業高の野球部長兼監督だった頃の教え子でヤクルトの二軍監督だった小川善治に入団を頼み込んだが断られ、千葉商業高の野球部監督経験者の篠田仁にプロ球団への仲介を依頼。篠田は懇意にしていた阪神タイガースの安藤統男に口利きを頼んだ結果、金田正泰監督へ話が伝わり、事実上の入団テストと言われている2軍のキャンプに帯同し、ドラフト6位指名。契約金500万円、年俸84万円で契約。
谷沢健一 (習志野高 → 早稲田大 外野手) 1969年 中日ドラゴンズ ドラフト1位
















































1970 126 479 427 39 107 17 6 11 169 45 6 7 6 6 34 3 6 66 8 .251 .315 .396
1971 123 463 423 47 110 12 3 16 176 41 7 6 6 1 30 5 3 61 10 .260 .314 .416
1972 130 537 465 58 135 21 4 15 209 53 2 6 1 1 63 5 7 42 11 .290 .383 .449
1973 126 518 454 47 134 26 0 10 190 45 0 2 2 2 53 1 7 35 13 .295 .377 .419
1974 125 516 466 73 135 31 0 22 232 77 2 1 4 4 39 2 3 51 7 .290 .348 .498
1975 129 527 470 57 138 20 0 17 209 71 2 6 3 4 46 4 4 46 9 .294 .362 .445
1976 127 547 496 66 176 36 1 11 247 52 4 3 4 6 37 0 4 51 9 .355 .404 .498
1977 130 554 493 65 154 29 4 14 233 55 5 1 5 1 53 3 2 51 15 .312 .381 .473
1978 70 199 184 17 52 14 0 2 72 18 1 4 1 2 11 0 1 27 6 .283 .327 .391
1979 11 13 12 0 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 1 0 0 1 0 .167 .231 .167
1980 120 481 425 61 157 27 1 27 267 80 2 3 0 4 50 10 2 59 10 .369 .438 .628
1981 127 506 462 57 147 22 3 28 259 79 4 2 0 5 39 4 0 63 6 .318 .371 .561
1982 129 526 471 57 132 20 1 21 217 85 2 2 2 4 47 8 2 59 17 .280 .348 .461
1983 130 548 485 60 153 33 0 21 249 87 1 2 1 3 57 7 2 56 13 .315 .390 .513
1984 130 572 505 84 166 20 1 34 290 99 3 4 1 1 63 7 2 67 15 .329 .405 .574
1985 104 405 360 37 104 9 0 11 146 47 1 2 0 2 42 5 1 44 6 .289 .363 .406
1986 94 241 220 22 60 11 1 13 112 35 0 0 2 1 17 1 1 28 5 .273 .326 .509
通算:17年 1931 7632 6818 847 2062 348 25 273 3279 969 42 51 38 47 682 65 47 807 160 .302 .368 .481
備考 千葉県東葛飾郡柏町出身。習志野高等学校では2年生からレギュラーとなり、控え投手もこなす。3年生時の1965年、夏の甲子園予選東関東大会の県予選準決勝に進出するが、銚子商の木樽正明投手に完封され大敗。甲子園出場はならなかった。銚子商は甲子園で準優勝。一般入試で早稲田大に入学。東京六大学リーグでは、レギュラーに定着した2年生の1967年春季リーグで首位打者を獲得するなど、東京六大学を代表する左の強打者として活躍。1968年秋季リーグでは田淵幸一らのいた法大に競り勝ち優勝。六大学打撃10傑の常連で大学通算打率.360を記録、ベストナインに6度選ばれた。同期の荒川尭遊撃手とのコンビは「早稲田のON砲」と呼ばれ、その名にふさわしく両者合計37本の本塁打を放った。4年時には主将。リーグ通算82試合に出場し308打数111安打、18本塁打、63打点、打率.360。1969年のドラフト1位で中日ドラゴンズに外野手として入団。
醍醐恒男 (習志野高 捕手)1967年 阪急ブレーブス ドラフト6位
















































1968 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 - - -
1969 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
1970 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
1971 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
1972 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 - - -
1973 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 - - -
1974 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
1975 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
1976 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
通算:9年 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 - - -
備考 千葉県出身。習志野高では3年生の時に、捕手、四番打者として同期の石井好博とバッテリーを組む。1967年の東関東大会決勝で竜ヶ崎一を破って夏の甲子園に出場。準々決勝の富山商戦では5安打。決勝では広陵の宇根洋介投手から適時三塁打を放ち1-7で勝利、千葉県勢初のチーム全国優勝を飾る。他の高校同期に三番打者の池田和雄外野手がいる。打力とインサイドワークに優れた捕手として期待され、1967年ドラフト会議で阪急ブレーブスから6位指名を受け入団。しかし出場機会に恵まれず、外野手に転向。1971年オフに南海ホークスへ移籍するが、ここでもあまり活躍の場は無く、1976年限りで引退。引退後は南海のコーチ補佐、コーチを1985年まで務めた。
池田和雄 (習志野高 外野手) 1967年 東京オリオンズ ドラフト11位
















































備考 入団拒否
斎藤喜 (習志野高 内野手) 1965年 阪急ブレーブス ドラフト2位
















































1966 18 14 13 1 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 0 0 4 0 .077 .143 .077
1967 18 6 6 4 2 0 0 0 2 0 1 0 0 0 0 0 0 1 1 .333 .333 .333
1968 8 6 5 2 1 0 0 1 4 2 0 0 0 0 1 0 0 2 0 .200 .333 .800
1969 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
1970 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 - - -
通算:5年 45 26 24 7 4 0 0 1 7 2 1 0 0 0 2 0 0 7 1 .167 .231 .292
備考 千葉県出身。習志野高時代、高校生・遊撃手No.1の評判だった。また韓国高校選抜軍対全関東高校の試合に選抜され、関東球界では大型内野手として注目されていた。同級生には後に中日ドラゴンズで活躍する谷沢健一がいる。1965年プロ野球ドラフト会議で阪急ブレーブスへ2位指名で入団。晩年は内野手から投手に転向し、選抜選手会議にて中日から指名されるも1970年に引退。